拡大自殺について

 犯罪者を擁護する気は全くない。ただ、自分や自分にとって大切な人が被害に遭う可能性を少しでも減らすために書こうと思う。

 拡大自殺は、自暴自棄になるなどの様々な要因により、他者を殺した後に自分も死ぬ事(死刑を含む)を想定して行動する事であり最近頻発している。
 生まれた時から、将来殺人者になりたいと思っている人はいない。事件に至るまでには必ず理由がある。自分と言う存在を尊重されて来なかった人は他者を尊重する事は出来ない。今の社会で本当の自己肯定感を保持出来ている人間がどれだけいるだろうか。

 私の調べてきた限りでは、事件の背景には虐待や特性に対する不適当な対応がある。そして、事件に至るまでに徐々に問題行動のエスカレートが見られる。その過程で多くの他者との関わりがあるが、誰一人事態の深刻さに気付かず、厄介払いの対応が積み重なった果てに事件は起こる。

 私の妻も、子どもの頃虐待、ネグレクトにより不潔で痩せており、お腹を空かせて学校に行けば唾を吐かれ給食にゴミを入れられる等、地獄の様相だったが、周囲にいた大勢の大人は見て見ぬ振りか、むしろ加担していた。当時は児童虐待防止法もなく社会の認識も今とは違うが、今でも、この瞬間も想像を絶する苦痛と絶望の中にいる子ども達が大勢いる。

 虐待を受けても立ち直り、立派に生きている人もいると言う人もいるが、そう言う事を言える人は精神を完膚無きまでに破壊する残虐な人間と関わったことの無い幸運な人だ。確かに、虐待受けても立ち直り、負の影響を受けずに生活している人はいる。しかしそれは、私の知る限りかなりの少数派だ。多くは苦しみながら、ぎりぎりのところで戦いながら生き延びている。

 人間のストレス耐性は個人差が大きい。同じ体験をしても、ノーダメージの人もいれば鬱になる人もいる。本人にとって理不尽な事が続き、希望が無くなり、人間関係が絶たれ、正常な思考力、判断力を失い、被害妄想や加害妄想、社会への復讐心に精神を支配されてしまった人間が行動を起こした時、それを止める事は困難である。

 理想は、命の誕生を周囲の人間すべてが無条件に歓迎し、喜び、その子の個性に応じて、その子の輝きが最大限になるような環境を、あらゆる可能性を探りながら構築することだ。命は、生まれた時点で100点だ。どんな子どもも、その子なりにベストを尽くして生きている。このような考え方は生物の本能としては不自然である。意図的に教え、学ばなければ身につかない。

 現実には、虐待死の最も多いのは0歳であるように、誕生直後に殺害されたり、虐待の連鎖や学歴差別、障害者差別、親の特性や経済状況により暴力や暴言を受けたりし、ありのままの自分で、のびのびワクワクした生活を送れない子どもが多い。

 最近は就職試験で不適正検査を実施する企業が増えてきている。潜在的な精神疾患の可能性や発達障害者を排除する為の試験である。様々な形で社会から否定され続け、排除され続け、世界のどこにも居場所がなくなれば、心の健康を保つことは不可能だろう。一方で少数派ではあるが発達障害の特性を理解し、当事者が無理なく働けるように非常に柔軟な対応をする企業も出てきている。どちらに進んだ方が、将来の被害者が減るかは明白である。

 今の社会のシステムは「良く出来る人」が作っている。その人々はシステムに合わせて動くことの出来ない人間を理解できない。私はこれを「障害を理解できない障害」と呼んでいる。人はシステムに合わせて変わることは出来ない。すべての人が輝くことの出来るシステムを作る必要がある。社会全体の意識が変われば、システムはすぐに変わる。

 犯罪者を死刑にしても、どれだけ非難しても、未来の被害者を減らす事は出来ない。誰にだって、歯車のかみ合わせ次第で犯罪者になる可能性がある。誰にだって未来の大量殺人を止められる可能性がある。

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