「いる」だけでとりあえず最高、完璧。後はおまけ。

 私は子ども達によく「〇〇ちゃんがお父さんの所に生まれてきてくれてとっても嬉しいよ。〇〇ちゃんが来てくれてから毎日とっても幸せだよ。」とか「〇〇ちゃんはとっても素晴らしいよ」の様な言葉を毎日、口を酸っぱくして言っている。長男は大きくなってきたので以前より頻度は減ったが、言われた子ども達は嬉しそうにしている。

 私が子どもの時に言われていたわけではない。私は妻と出会い虐待について学ぶようになった。虐待について学ぶと言う事は、子どもとどの様に関われば心身を傷つけるかを知ると同時に、ではどのように関わるのが望ましいかを知る事である。それは、私の育った家庭も機能不全家族であったと知る事でもあった。今の社会に機能している家庭はほとんどないように感じている。

 私たちの自己認識は、他者から自分に向けて発せられた言葉や行動によって作られる。当然、ずっと否定的な言葉や行動を向けられ続ければ心は正常な機能を失ってしまう。一度そうなれば、その後の人生は非常に困難なものとなる。

 私自身は深いダメージを負っている訳ではないが、自己肯定感があったとも言えない。以前は、他者に認められなければと、頑張りすぎていた。いつも心のどこかで、こんな自分ではダメだと思っていた。しかし度重なる挫折の中で「私は、他人に認められるために生きているのではない。やりたい事をやりたいようにやろう」と思うようになった。私はこれを逆説的自己肯定感と呼んでいる。頑張るのを止め、意図的にサボるようにした。人に何を言われても「気にしない気にしない気にしない」と頭の中で繰り返し、好きなようにするようになった。不思議と、他者からの評価は上がったし、すべてがスムーズに流れるようになった。

 様々な学びから、子ども達が生まれた時から、子ども達に冒頭のような言葉をかけ続けてきた。「いる(存在している)」だけでとりあえず最高、完璧。後はおまけ。始めは言い慣れなかったが、今では口が勝手に動いてスラスラ出てくるようになった。

 私は愛と言う言葉が好きではないが、子ども達を抱きしめながら声をかけていると愛や幸せが無限に溢れてくるのを感じる。

〇息子のYouTubeチャンネル
ごちゃまぜゆっくりゲーム実況
良ければ登録お願いします(‘ω’)ノ

〇おすすめ記事
旭川女子中学生いじめ凍死事件についてと、私の活動に対しての基本的な考え方(厚志)
シリーズ:コミュニケーションについて(全4話)(厚志)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA