②良いコミュニケーションと悪いコミュニケーションについて

 前回は、存在の本質は関係性にあるのではないかと言う私の考えを書きました。今回はその関係性の質、あり方について私の考えを書こうと思います。

 私達は、人との関わり方を最初は、主に養育してくれる人の反応を見たり、模倣したりすることから学び始めます。母親が主な養育者になる場合が多いですが、それ以外の様々なケースがあります。

 残念ながら、出生直後に遺棄されて死亡したり、殺害後に遺棄されたりするケースも多くあります。当然ながらコミュニケーションを身につける事は出来ません。

 その次に、主な養育者と最も親密な人と主な養育者の関係性を観察し、学んでいきます。多くの場合母親と父親となりますが、これも様々なケースがあります。

 例えば、母親から「お前なんか生まなきゃ良かった」などの様な事をと言われ続ければ、無意識に、自分はいない方が良いのではないか?と言う自己に対する「存在への不安」が生まれます。

 また、父親が母親を暴力や暴言などを用いて洗脳や服従をさせている場合などは、その方法を身につけます(加害側も被害側も)。

 自己に対する「存在への不安」が生まれると、その人の人生はこの不安を打ち消すために周囲の人や物を利用、コントロールしようとする行動に支配されてしまいます。暴力や暴言などを用いた場合、虐待やDV、各種ハラスメントと言った呼び方で呼ばれます。行動や物質に依存する事でこの不安から逃れようとした場合、性依存症、ギャンブル依存症。窃盗癖、アルコール依存症、薬物依存症等と呼ばれます。世話を焼く事によって相手に自分を安心させる様な行動を取らせようとする事を共依存と呼びます。これは、人間関係依存と言ってもいいと思います。どのような問題にもこの人間関係依存が潜んでいると言っても良いと思います。

 不安からスタートした関わりのあり方は、次の不安を呼びます。私は、負の連鎖の負は、不安の不の連鎖でもあると考えています。

 不安は、生物の本能として死を回避し種を存続させる為の仕組みから来ています。不安感の強い人を利用するのは非常に簡単です。不安感を煽ったうえで、私の言うとおりにすれば大丈夫等と言い、そこに暴力やイリュージョン等を織り交ぜれば、殺人を指示すれば躊躇なく実行する程度にはコントロールすることが出来ます。

 それに対し「安心」は、不安が全くない状態ではありません。安心は、出来るだけ正確にリスクを把握しようと努める事です。人間は、生まれた瞬間から死ぬことが決定していて、いつどのように死ぬかは誰にもわかりません。正確にリスクを把握するには、多種多様な人と出会い、多種多様なコミュニティーに属していることが不可欠となります。限定されたコミュニティー(例えば自分の家族や特定の宗教、マルチなど)にしか属さず、人間関係が限定されている状態で問題が発生した場合には、適切な対処が出来ず、最悪の場合は他殺や自死で命が奪われてしまいます。このような関係性の中で取られるコミュニケーションを「悪いコミュニケーション」と私は呼んでいます。

 人間は、根本的に一人ひとり、全く違う個性を持った存在です。多種多様な人と出会い、多種多様なコミュニティーに属する中で、自分が他の人とどのような違いがあるのかを知り、自分としての自立した考えを持ち、そして他の人の考えを受け入れ、お互いを尊重する。このような関係性の中で取られるコミュニケーションを「良いコミュニケーション」と私は呼んでいます。

 次回以降、「良いコミュニケーション」と「悪いコミュニケーション」、「存在への不安」について、それぞれ分けてより詳しく書こうと思います。

存在について
続・良いコミュニケーションと悪いコミュニケーションついて
「存在への不安に」ついて

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