①存在について

 私はいつか本を出したいと思っています。そのメモと練習を兼ねて考えていることを書いていこうと思います。

存在について

 今私は、私達の存在の本質は関係性にあるのではないかと考えています。兄の不登校、それをきっかけとして入った定時制高校、そこで出会った妻との関わりなどの経験の中でそう考えるようになっていきました。

 例えば、イメージしてもらいたいのですが、何も無い空間に生まれたての赤ちゃんが突然出現したとします。そして、そのまま誰も現れず赤ちゃんが死んでしまった場合、その赤ちゃんは、自分が存在した事を認識できるでしょうか。また、他の人は誰もその赤ちゃんを見ていないので、他の人にとっては存在していないと言えます。

 では次に、親がいて赤ちゃんを産んだ場合はどうでしょうか。親が、生まれてきた赤ちゃんに向かって、「あんたなんて生みたくなかった、あんたのせいでは私は不幸になった」と言い続けたとします。その子は成長すると、「私は生まれてくるべきではなかった、親を不幸にしている存在だ」と自分を認識します。

 私達一人一人の自己認識は、周囲の人の反応や、関わり方によって作られます。他者から大切にされた事のない人は、当然、他者や自分を大切にする事はできません。「大切にする」という事を知らないからです。

 私達の姿形や、話す言葉、表情、態度、行動はすべて表現です。音楽や絵や全ての芸術も当然表現です。表現はメッセージです。どのようなメッセージを周囲に出すかは自己認識によって大きく左右されます。

 ただ、そこにいるだけでは、私達は存在しているとは言えないのでは無いでしょうか。一方が発したメッセージを、受け取る側がいて、送られてきたメッセージに対しての何らかの反応が起こり、場合に応じて何らかのメッセージが返される。その関わりがあって初めて私達は存在していると言えるのだと私は考えています。そのメッセージの中身が暴力なのか、人格の否定なのか、それとも祝福なのか、信頼なのか。存在と存在の間でやり取りされるメッセージの質、関係性のあり方こそが私達の存在の本質ではないのだろうかと私は考えています。そして、この関係性は自分との関係も含みます。自分との関係性は、自己認識と言う事も出来ます。自分との関係が良好な場合は、他者との関係も概ね良好となる場合が多いです。

良いコミュニケーションと悪いコミュニケーションについて
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